豆太郎さんの体験談

私は2011年に娘を出産しましたが、彼女は先天性トキソプラズマ症でした。

体験談寄稿 NO.1 豆太郎さん

2012/09/05 更新

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Data

  • 2011年生まれ
  • 先天性トキソプラズマ症

STORY

30週で、脳室拡大を発見

胎生30週あたりで、エコーの所見に、通常の4倍もの大きさの脳室拡大がみつかり、 原因もわからないまま周産期医療センターのある大学病院に転院させられ、そのまま出産まで管理入院することになりました。

転院して血液検査をし、お腹の中の赤ちゃんの障害の原因がトキソプラズマ感染だと分かった時、私は自らの手で、大事な宝物である娘を、トキソプラズマに感染させ、障害を与えてしまったのだと、非常に悔いて、そんな自分を呪いました。

思い出してみると、妊娠中期に一度だけ知人に誘われて、初めての焼き肉店へ行き、 そこでユッケやレバ刺し(※1)を食べたことがありました。
そののち、二週間くらいして、今まで腫れたことのない頸部リンパ節が痛みもないまま無症候性に大豆大に固く腫脹し、一般的な抗生剤のフロモックスを服用しても全く効かず、その腫れが二週間ほどして自然治癒した…ということがあったのです。 あの時に感染したのではないかなと思いました。
アビディティ検査の結果ともその時期は合致しているようでした。
まだ、生肉中毒死事件以前の話で、私自身、トキソプラズマ=猫を飼っている人が用心する病気、という誤解した知識しかなく、また、初めにかかっていた産婦人科でもトキソプラズマの抗体検査をルーチーンにしていなかったため、正しい情報、知識を手に入れることができなかったことを、非常に悔しく思いました。

そして入院中のベッドで、一人布団をかぶって
声を殺して泣く日々がしばらく続きました。

どうして、こんなタイミングで初感染?
生肉なんて小さいころからタタキとか食べていたのに、わざわざ妊娠中に初感染?
ただの悪い偶然?いやいや、私が知識がなくて生肉なんか食べたせいだ!
子供が欲しくて仕方なくて、でも不妊治療してもできなくて悩んで、治療に疲れて何度も夫婦喧嘩した日々もあった…、
でも、夫婦で話し合って通院も治療もやめて、夫婦二人だけの人生を楽しもうってあきらめた途端に、奇跡的に自然妊娠した赤ちゃんなのに…
やっとやっとやっとの思いで授かった赤ちゃんに、この私が病気を作ってしまった。
神様がいるとすれば、なぜ授かるまでに苦しんだ私に、妊娠してなお、まだ苦しみを与えるのですかと聞きたい。
でも、そんなこと言ったって、何もかも私が悪いんだ。
主人の家も私の家も、初孫だってあんなに喜んでくれていたのに、私は家族みんなをがっかりさせてしまったに違いない。
主人もきっと、がっかりしているに違いない…だったら、私一人がこの子を背負おう。
離婚して、私一人でこの子を育てよう…

…そんな風に本気で考えていたこともありました。
でも、主人や家族も、私やお腹の子の病気を受け止めてくれました。
主人は、自分にも知識がなかったんだから、自分も悪かったんだ…と自分を責めてもいました。
二人で泣いて、二人で考える日々が続きました。

そのうち、後悔しても、娘の障害が治るわけではなく、その悲しみや苦しみを別の形で、もっと生産的な形で昇華したいと考えるようになりました。

泣いたって何したって、生まれてくるものは生まれてくる。
生まれてくるその日に、ごめんねじゃなくて、「ありがとう」と言えるようにしようと、気持ちを切り替えました。
私にとっての、一ヶ月にわたる入院生活は、心の整理やこれからの決意をするための、とても大事な時間だったように思います。

オペ日まで続いたアセチルスピラマイシンの投薬

もう9か月に入っていて、胎児に症状も出ているし、ほぼ胎児に感染ありと確定してるのに今更アセチルスピラマイシン…?という気持ちも少なからずありましたが、アセチルスピラマイシンを3週間弱投薬されました。
また自分が元気でいれば、質の良い抗体をたくさん作りだしてお腹の子に届くのだと、自分を奮い立たせて、涙はほとんど流さず元気でいられるように努力して、オペ日まですごしました。

そして、娘にオペ室で初めて会った日、私はちゃんと「ありがとう」ということができたのです。

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誕生翌日 初めて抱いた時 まだ胎脂もついた状態

NICUに入院~毎日冷凍した母乳を届ける

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娘はNICUに一か月余り入院していましたが、先に退院していた私は毎日母乳を搾乳して届けていました。
その時も、この母乳に含まれた私の抗体で、病気と戦っているわが子を援護射撃してあげるのだという気持ちでいっぱいでした。
出産したのに、娘と自宅に一緒にいられない生活が寂しくて、勝手に涙があふれる日もありましたが、自分を責めたり後悔したりする非生産的な涙は流さなかったつもりです。
それは、今も同じです。

娘は胎児MRIの時点で脳室拡大、脳内石灰化物は認めていましたが、出生後の検査でブドウ膜炎もみつかりました。

今は正常圧水頭症ということで特にシャント手術もすることなく、 また眼もスルファジアジンやピリメタミンが効いたのか、治癒し、視野の外側で瘢痕化している状態です。

1歳からの様子

photo 右手足に少しの運動麻痺があるようで、発達に影響してはいますが、PTの甲斐もあって、1歳4か月の時点で、つかまり歩きまではできるようになっています。
一度無熱性のケイレンをおこし、また脳波にも異常がみられたので、てんかん予防にテグレトールも服用しています。
高熱が出たときには、予想を裏切らず、やはり痙攣発作は出ました。
30分以上続く大きな発作でしたが、心の準備があると、特に慌てることもなく、冷静に対応はできるものです。
病気のわが子を助けてあげるためには、親こそ、一番冷静でいなくてはいけないんだと学習しました。
きっと、もしこれから新たに発達障害などが見つかっても、きっと私は慌てふためいたり悩んで鬱になったりはしない気がします。
もちろん悲しみの涙はたくさん流すと思いますが、それでも冷静に、この子に親の私が何をしてあげられるのかを考えていくつもりです。
非生産的なことはなるべくしない。あの日、そう決めたから…。

さいごに

積極的な治療は主に投薬しかありません。
それも国内の認可が下りたものは存在せず、個人輸入したものに頼るほかはありません。
「ご自身のPC使って、個人で輸入してください。届いたら病院に持ってきてください。粉末にして体重に合わせて調剤しますから。」と、仲介業者のURLの書かれたメモを渡されつつ担当医に言われたときは本当に驚きました。
はじめの二箱は大学病院が、医科研から科研費で賄える分として提供してもらったのですが、それ以降の必要な分は、大学病院が仲介することなく、薬を購入しなくてはなりませんでした。
また助成金が全くないので、完全自費でしたから…50万円弱はかかりました。
病院にも国にも、放置されたような、気持ちになったのを覚えています。
欧米では最低一歳まで飲めば良いとされてるようですが、高価な薬なので手に入れた量の薬剤は飲みきろうということで、一歳半くらいまでこの投薬をする予定です。

以上のような、さまざまな葛藤や悲しみを生産的な形で昇華したいという気持ちと、何とかこれらの経験を無駄なものとして終わらせたくないという気持ちが、啓蒙活動や患者会設立に私を駆り立てました。
啓蒙活動で母子感染する胎児を減らすこと、感染してしまった母子のケアをしていくこと(交流会などを通じての精神的な部分のケアも含めて)、 治療薬の国内生産や助成を実現すること、妊婦健診におけるトキソやCMVの抗体検査を助成の対象にすること、などを目標として、 細く長く、患者会活動をやっていきたいなと思います。
賛同してくださったら是非、周りにこんな病気があるんだよと知識を広めていってください。
ただ人に話すだけでも十分な啓蒙活動です。
もう、私のような気持ちになる母子を見たくはないのです…。
どうか、ご協力お願いします。

※1…牛のレバ刺は平成24年7月から禁止されています

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