みいこさんの体験談

「あなたのお子さんは、障がい児ですよ。1歳までに死ぬでしょう。」 と宣告されたのです。
「わが子に障がい?生まれたばかりなのに、こうして生きているのに…死ぬ?」

体験談寄稿 NO.16 みいこさん

2013/03/01 追加

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Data

    • 1993年生まれ
    • 4ヵ月で先天性サイトメガロウイルス感染症と診断

STORY

ひであきは、平成5年5月3日に我が家の次男として生まれました。
現在、19歳!昨年の春、無事に府立支援学校を卒業し、 居住地の身体障がい者支援施設に毎日元気に通っています。
19年間の道のりで、今が一番健康かもしれません。

次男の障がいは、私の妊娠初期中に、サイトメガロウイルスの感染(私が抗体を持っていなかった為、母子の胎内感染)による 脳障がいがあり(後の検査で、脳室拡大、脳幹などところどころに石灰化、大脳皮質の変形など、とにかく脳がかなりのダメージを受けていることが判明)、合併症にてんかん(重症、現在4種の抗てんかん薬を服用中)があります。

 

安産だったにもかかわらず、産声は弱々しく、顔には紫斑が…

予定日ぴったりの出産で、2回目の出産だったこともあってか安産で、体重も2676gありました。 しかし、出てきた次男の産声は「ひぃひぃひぃ」と、とにかく弱々しく、しかも顔が紫斑だらけでした。
「あれ?何か嫌な予感。だけど、まさかね…」
産院のドクターからは「念のため、1日保育器へ。退院するまでにこのあざが消えなかったら、大きい病院を紹介します。」との話でしたが、 生後5日目に、あれだけあった顔じゅうの紫斑はスーッと跡形も無く消え、何事もなかったかのように普通に退院しました。

生後まもなくから、体調不良が続き、斜視や股関節の硬さも現れ…

小さいときは、とにかく、風邪のような症状が続きました。
というか、今思いだして言えば、生まれたときからずっと体調が悪かったのです。
産院から、家に帰ってきた日、もう5月だというのに、オムツ替えや授乳のたびに、手足が紫になっていたのです。しかし、体温を測ると、そう低くもない。
また、赤ちゃんなのに咳?という症状。
「風邪をひいている?おかしいな…赤ちゃんって母子免疫があって、6ヶ月くらいまで風邪とかひかないんじゃ?」と疑問だらけで、祖母はあわてて、ストーブを出して部屋をあたためてくれました。

退院の次の日、風邪薬を処方してもらいに産院へ行きました。
そして、生後7日から風邪薬を飲む次男…。
また、目が開くようになると、内斜視症状。
「そういえば股関節も、長男のときよりちょっと固いかな…けど、気のせいだろう。」
そんな風にして、宣告を受けるまでは、普通のあかちゃんと思って育てていましたが、なぜ?なぜ?が尽きない、つかの間の3ヶ月でした。

3ヶ月を過ぎたころ、あまりに風邪症状がひどくて、しんどそうなので、近所の小児科へ受診。
しかし、そのときも、風邪薬を飲んでしのぎました。

1歳までに死ぬでしょう…先天性CMV感染症という宣告

そして居住地の4ヶ月健診に行ったとき、あきらかに他の子どもとの違いを感じました。
他のお子さんは、みんな立て抱きなのに、次男はいまだ横抱きでした。
首のすわりが遅いということで、すぐに精密検査を勧められ、大きな病院へ行きました。
検査の結果、ドクターに、

「あなたのお子さんは、障がい児ですよ。1歳までに死ぬでしょう。」 と宣告されたのです。
「わが子に障がい?生まれたばかりなのに、こうして生きているのに…死ぬ?」

本当に意味がわかりませんでした。
そのときに、初めて「サイトメガロウイルス」という名前の感染症があることを知りました。
かかると妊婦自身は風邪症状があるくらいでたいしたことないウイルスだが、妊婦中に初めてかかると胎児に悪い影響がある可能性もある、との事でした。
どうりで、ずっと体調が悪かったわけだ、と意味がわかりました!
「お腹の中で、ずっとウイルス漬けだったのね… でも、だからって、なんでうちの子が…?障がいってなんなの?!」
そこから時が止まり、目の前が真っ暗になり、ドクターの声が、どこか遠くで聞こえてるような聞こえてないような…
暑いのか寒いのかをまったく感じず、何を食べたのかさえ、どこをどうやって帰ったのかさえ、その日はおぼえていない状態でした。
そして、冷静にいくら考えても、障がいと言われても、どのように成長するのかなど、その時の私には想像すらつきませんでした。
どれだけ泣いたかわかりません。涙枯れるまで…いいえ、涙は枯れません。

リハビリ漬けの毎日

宣告を受けたときに、居住地にある社会福祉施設を紹介されました。
母子通園で、機能訓練(PT、OT、ST)、療育、親対象の勉強会など行ってくれる施設です。
とにかく、「訓練しかない!」ということで、生後5ヶ月から就学前1年まで、約6年間、来る日も来る日も、リハビリに通い続けました。

入退院が続き、追い詰められていく心

2歳までは、ほとんど毎月、気管支炎だの肺炎の疑いだの、てんかん発作だのと、入退院の繰り返しでした。
その頃は、本当に辛い時期でした。
「なんで?私ばっかりこんな苦労をしないといけないのか?」とか
「もう、死んでくれたらいいのに。」とか、自分中心のわがままで未熟な母でした。

どんな身体でも、障がい児でも良いから、とにかく死なないで!

1歳の誕生日前に、重責大発作で、本当に命が危険な状態になったときがありました。
そのときに、苦しそうに小さな身体で必死に生きようとしている次男を目の当たりにし、
「どんな身体でも、障がい児でも良いから、とにかく死なないで!どうか神様、仏様、命を救ってください!」と、祈り、見守り続けました。
それまでの心を反省し、その日より「絶対に次男は、私が守り育ててみせる!」と決意をし、前向きに生きるようになりました。

2歳から、食事を口から食べられるようになり、それなりに身体も丈夫になってきました。
いろんなところへ、すすんで参加し、私自身も障がい児のママ友さんたちと、たくさん交流をしました。
普通のことを普通にするのに人の何倍も努力が要る次男。でもその分、出来たときには、喜びも数倍でした。 そんな母子通園時代は、私が次男と共に歩む人生の基礎、土台を築いてくれた時期と言っても過言ではありません。
看護師さん、訓練士さん、保母さん、先輩ママさん、ママ友さん、たくさんの方に支えられ、今があります。

健常児と一緒に幼稚園へ通う日々

お友達が大好きだった次男なので、どうしても普通の子どもたちの中で、育てたい!と、母子通園施設を退園し、居住地の公立幼稚園へ強い希望で就学前1年間入園しました。
校区のお友達に、次男の存在を知ってもらい、好きなお友達も出来て、楽しい幼稚園時代でした。


1999年4月市立幼稚園入学

療育園時代は元気な次男だと思っていたのですが、幼稚園へ行くと、次から次と、流行ってきたらすぐに風邪をひき、1回ひいたら完治するのに2週間、家篭りをする状態…。
幼稚園も、冷暖房の整っていない環境でも、できる限り次男に合わせた環境にしようと努力してくださっていました。しかし、夏や冬は、必死で連れて行っても、ひとり保健室で過ごすなど、何のために幼稚園に行ったのか?と思うような状態でした。
3学期は次男の体調が悪くほとんど欠席、卒園式も入院してしまい病室でのひとり寂しい卒業授与式でした。
そんな中、幼稚園のママ友さんたちは、みんな優しくは接してくれましたが、私はとてつもなく孤独を感じていました。

そんな風に、私にとっては、厳しい幼稚園時代でしたが、次男にとっては、良い思い出です。今でも、近所の同級生が、覚えていてくれて、道で会うと声をかけてくれる子も居ます。

そして、この幼稚園の経験から、これ以降の居住地校区の通常の学校への入学は断念し、居住市立の養護学校の小学部に入学、卒業しました。
居住市立の養護学校の中学部に入学、転校し、府立の支援学校中学部を卒業。 府立の支援学校高等部に入学、卒業しました。


2003年4月家族旅行

口からの食事が難しくなりIVH※に

小学校2年生の時に、誤嚥検査で50%誤嚥していることがわかり、鼻チューブからの流動食と併用するようになりました。
小学校3年生の時には、アデノイド切除の手術をしました。
小学校4年生の時から、誤嚥性肺炎の疑いで、入退院の繰り返しをするようになり、それまで、口から食べていた食事がまったく受け付けなくなりIVH生活となりました。
IVHを抜くためには、胃を縛り、胃ろうを造る手術しかない、と、ドクターに言われ、それまでは、とりあえず今は、病院での治療は何もすることがないからと、IVHを繋げたまま家で在宅にしました。
その間、近所の訪問内科のドクターに1週間に1回診にきてもらっていました。
当時は、その訪問内科の患者さんにはIVHをつけて在宅している子どもが居なかったため、大変珍しいもの扱いを受けました。

※IVH…Intravenous Hyperalimentation(中心静脈栄養法)の略称。大静脈(胸か首か鼠径)にカテーテル(管)を入れて高カロリー輸液で栄養補給する(Wikipedia)

食道と気管を分離

そこで巡り合った内科のドクターは、大人の内科のドクターだったのですが、呼吸専門で、呼吸の大切さを訪問の折、お話の中で教えてくださいました。

それまで、胃を縛り、胃ろうを造る手術をすることを待つために、在宅にしていましたが、その先生の話を聞くうちに、呼吸のためにも、先に気管切開の分離手術をしようと私の気持ちは変わっていきました。
そのことを、当時の主治医に伝え、耳鼻科のドクターにつないでもらったら、あっという間に手術になり、小学校5年生の時に気管切開の分離手術をしました。


2005年1月気管切開分離手術

呼吸が楽になった次男は、まず、顔つきが変わりました。
いつもひきつった苦しそうな顔していた次男ですが、顔が穏やかになり男前になりました。 声が出なくなったので、無駄なうなり声が無くなり、妙に賢くなったようにも思える感じで、声と引き換えにはなりましたが、健康を手にしました。
それからは、肺炎の疑いなどで入院することがほとんどない生活になり、体調も安定しだしました。
しかし、学校へ行くのは、医療的ケアが必要なので、スクールバスに乗ることが出来ず、当時は、学校への看護師配置もまだ制度化されていなかったので、私が、自家用車で送迎し、学校でもつきそっていました。
そこから、PTA活動などが活発化し、次男が中学になる頃には看護師配置も制度化し、中3の頃には私も学校で待機しなくてもよくなり、めざましく環境が整っていきました。
それでも、今でもまだ、医療的ケアが必要な児童はスクールバスには乗れない現実なので、登下校の送迎はしなくてはいけません。
私ひとりではなく多くのママさんたちも、現在進行形で頑張っています。

そして高校3年生の時、卒業まじかで、胃・空腸吻合手術と胆のう切除と胃ろうの手術をし、「リニューアルひでくん」として蘇りました。


2012年1月胃・空腸吻合手術、胆のう切除、胃ろう造設

てんかん発作に悩まされる毎日

育ててきた経験から、やはり一番の苦労は、てんかんの発作かな、と思います。
寒い、暑い、嫌と言う、ちょっとした不快も発作につながりました。
これは、脳の石灰化が影響している、とドクターから聞いたたことがあります。
発作自体は、しばらくすれば治まり命に影響は無いと思いますが、発作時の窒息が、命を危険にします。
食べたり飲んだりした直後に発作すると大変危険でした。
何度、救急車のお世話になったことか、しれません。
今でも、お薬は4種飲んでいますが、ほぼ毎日1回位は発作しています。
今は、食道と気管支を分離しているので、誤嚥などの窒息の心配はありません。

さらっと次男の挑んできた軌跡を書きましたが、本当はもっともっと思い出すとあります。

次男を授かったことで知れた、たくさんのこと

これまで、家族全員で、次男を支えて頑張ってきたので、後悔はありませんし、なんら恥じることもないし、気持ちを切り替えた1歳から、不幸だとは思ったことはありません。 とは言え、次男を授かってから、家族の力だけでは、決してここまで来れなかったことでしょう。
どれだけ沢山の方々に、出会い支えられ護って頂き、励まして頂いたか…
本当に感謝してもしきれないくらいです。
この場を借りて、ありがとうございましたと言わせてください。

また、次男を授かったことで、人の傷みや、思いやる心、何より生命の大切さ、尊さを身をもって感じることができました。
今は、次男が愛しくて愛しくて、たまらなく可愛くて、我が家に生まれてきてくれて、本当にありがとうと、思っています。
また、生まれてきたからには、この世に果たしていく使命があると思い、毎日がチャレンジの日々です。
来年は、いよいよ成人式を迎えます。
どんな楽しい未来が待っているのか、ワクワクしています!


2012年hope&wish難病の子どもとその家族に夢を のシンポジウムに参加

19年前から変わらない、サイトメガロウイルスに対する認識の低さ

今、振り返り思えば、19年前は、ドクターすら「サイトメガロウイルス」のことを知っている方が少なかったと思います。
救急で行く先々の病院で、珍しく思われ囲まれ、私自身も、とても難しく珍しいというイメージを持っていました。
そして、19年後、こんなに医療が発達し、1歳で死ぬと言われた障がい児が、こうして元気に生きているのに、まだ、「サイトメガロウイルス」で悲しんでいる家族が居ることに胸が痛く、怒りさえ覚えます。

感染経路についても、当時は、知りませんでした。
トーチの会では、抗体を持っていない妊婦さんは、乳幼児の食べ残しを食べない、唾液などに気をつける、と注意してくれています。


19年前は、そんなウイルスがあることを知らず、自分に抗体が無かったことも知らずにいました。
もうひとりの可愛い幼児の長男が居ましたから、普通にちゅーちゅーキスはしまくりで、ご飯も食べ残したら、普通に食べていました。 それが19年経った今、感染経路では?といわれれば…それも人生です。

正しい知識で、大切な未来ある子どもたちを危険から守りたい

知識があれば、大切な未来ある子どもを危険から回避することも出来ます。
これからの女性たち妊婦さんたちには、安心して、安全に出産や子育てをできる環境を、社会全体で支え整えていくべきだと強く思います。
そのためにも、トーチの会の発展が必要です。
そして、私たちひとりひとりの小さな勇気を、必ず大きな生きる力にかえていく事ができると、信じています!        

成長・疾患の記録

1993年生まれ 通常分娩
0歳4ヵ月 先天性サイトメガロウイルス感染症と診断
小学4年生 口からの食事が難しくなりIVHに
小学5年生 気管切開の分離手術を行い、食道と気管を分離
中学生 養護学校の中学部に入学、転校し、府立の支援学校中学部を卒業
高校生 支援学校高等部に入学、卒業
高校3年生 胃・空腸吻合手術、胆のう切除、胃ろう造設

2013/03/01

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