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オクセイさんの体験談

妊娠中に、胎児に異常があるかもということで、わざわざ大きな病院へ赴きいろいろ検査をしたにも関わらず、「サイトメガロウイルス」という名前は1度も聞くことがありませんでした。

体験談寄稿 NO.22 オクセイさん

2015/03/22 更新

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Data

  • 2012年生まれ
  • 先天性サイトメガロウイルス感染症

STORY

6か月健診での不安な指摘

不安の始まりは、妊娠6か月ごろの検診でした。
「脳室が大きいかも?」というお医者様のお話。でもエコーの画像だけで判断するには限界があるので、毎週通いながら様子を見ていくことになりました。しかし2か月たっても状況は変わらなかったので、他の総合病院で検査することを決めました。
総合病院でMRI撮影をし、精密検査をしたところ、「頭全体が小さい。でもそれ以上は生まれてみないと分からない。検査にも限界がある。」と言われました。原因も聞いてみましたが、「分からない。調べようがない。」との答え。
はっきりと「異常」を告げられたわけでもなく、かといって問題が全くないわけでもなく、グレーな回答ばかりだったので、「きっと、取り越し苦労だ。元気な子が生まれてくる!」という期待を持ちながら出産を待ちました。

そして、不安を抱えながら迎えた臨月…娘は2012年12月、予定より2週間早く産まれてきました。

聞こえぬ産声、低体重、脳障害…

普通なら「ふぎゃー」と聞こえる産声も聞こえず、娘はそのままNICUへ。臨月だったのに、体重は1767g。少しだけ顔を見せてもらったあと、彼女は保育器の中へ入りました。
月数は満たしての出産だったので、保育器は3日で卒業。それでもNICUには1か月余りお世話になりました。
その間も主治医の先生が、いろいろな検査をしてくれたのですが、その中でひっかかったのが眼科でした。網膜炎とのことでしたが症状がそこまで悪化しなかったので、体重が2000gになった時にひとまず退院し、週1ペースでの通院が続きました。
退院時に主治医の先生には「脳室石灰化、小頭症、てんかん」と告げられましたが、正直、すべてぴんと来ない言葉でした。
「母乳もいっぱいのんでるよ?確かに頭は小さいけど、元気だよ?きっと、問題なんておこらないはず!」…そんなことを考えていました。

先天性サイトメガロウイルス感染症の診断と治療

生後2か月ごろ、原因不明なまま、目の状態が回復しないということで、主治医の先生がいろいろ考えてくれ、他県の大学病院にて臍帯検査をしてもらうことになりました。
臍帯からサイトメガロウイルスの陽性反応が出て、やっと網膜炎の原因が判明し「先天性サイトメガロウイルス感染症」の診断がおりたのです。
生後2か月以上経ってから、このように症状が明らかになるのは稀だと説明を受けましたが、実際は出生後に様々な症状が明らかになることも先天性サイトメガロウイルス感染症ではよくあることのようです。
サイトメガロウイルス網膜症の状態が徐々に悪化していったため、生後3か月の頃にとうとう入院治療になりました。居住地区にある病院ではできなかったので、家族と離れて娘と2人大学病院へ入院しました。ガンシクロビルの投薬を2週間行い、症状が落ち着いてきたので、その後はバリキサの内服になりました。
早めに治療にふみきったので、幸い1か月余りで退院することができました。
退院後も2か月半ほど内服が続きましたが、再発もなく無事治療を終えることができました。

てんかん発作、療育、リハビリ…

生後しばらくは、母乳もよく飲んでくれて体重の増加もよかったのですが、入院治療の頃から食欲が落ち始め、体重増加がとてもゆっくりになりました。それでも大病もせず風邪すらもひかず1歳を迎え、そろそろ職場復帰もしようと託児も考え、児童発達支援所での母子通所を始めました。
しかし1歳を過ぎた頃から、てんかんの強い発作がでるようになりました。
「良く考えれば、脳が活動している証拠」という前向きな、ドクターの一言を胸に、「成長してるんだ!首だってそろそろ座ってくれるかも?!」という淡い期待をいだいていましたが、やはり彼女なりのペースがあるのか、体重増加もほぼ横ばいが続き、主治医の先生からも「状況によっては経管栄養も考えましょう」という話がでてしまいました。
また、主治医の先生がかけあってくれて、この頃から週1回の呼吸や体幹を鍛えるためのリハビリも始まりました。
そうこうしているうちに、私も復職し、3か月間の母子通所から、預かり保育に移行しましたが、やはり、環境の変化に娘は慣れるのに時間がかかりました。
預かり保育になってから、2週間近く大ストライキをし、日中は全くミルクを飲まない日々が続きました。体力も落ちていき、とうとう肺炎で入院…。その後は、ようやく彼女も分かってくれたのか、20㏄、30㏄….と徐々に飲む量も増えていきました。

呼吸困難、経管栄養へ

Bipap月数がたつにつれ、呼吸困難がひどくなってきました。
ミルクを飲んではむせて嘔吐。誤嚥している可能性もあるとの指摘をうけましたが、対処方法がなく、「今日は飲んだ!」「今日は飲まない…」と一喜一憂の日々。体重もほぼ横ばいで、不安な毎日でした。
そんな時、主治医の先生から有名な小児耳鼻咽喉のドクターが来院するので診てもらいましょうとの提案をうけました。田舎暮らしの私たちには、これは本当に幸運なことでした。
内視鏡検査と嚥下検査を行い、「舌根沈下」があることと、「気管が狭くうまくのみ込めていない」ことが分かり、「気管狭窄症」という病名がつきました。
現在、「Bipap」という陽圧人工呼吸器を睡眠時につけ、成長ホルモンが分泌されているときに、気管を良い状態で維持させながら、気管を広げていくという治療をしています。
睡眠時は無呼吸もあったので、この機器を装着したら、呼吸がとても楽そうに寝ています。これまで、本当に苦しかったんですね…。
それと同時に、経管栄養も始まりました。管の挿入の練習の為、3日ほどの入院を4回しました。呼吸器と経管栄養で、体重も順調に増え始め、なかなか乗れなかった6㎏の大台にものりました。

悪化する、てんかん発作

2歳になる少し前から、てんかんの発作が強く出始めました。てんかん抑制の薬は、生後間もなくから飲んでいるのですが、1歳過ぎた頃に2種類に、それからは体重を見ながら量を調整していました。
そろそろ量を見直そうという頃に、ひどい発作を連発し何度も病院へ通いました。増量をしたものの、すぐには効かず、発作で口をかんでしまっていつも唇が腫れていたり傷があったり…。発作を抑える座薬を入れると、今度は効きすぎて呼吸を止めたりと落ち着かない日々が続きました。

現在の様子

てんかん薬の効果がでてきた今は、脳波の検査をしながら薬の種類の見直しも含めて考えていきましょうという状況です。
てんかん以外では、サイトメガロウイルス網膜症のフォローが2か月に1度、眼科と耳鼻咽喉科での検査が半年に1回の定期検診があります。
眼科の方では、視神経が弱いだろうという診断があります。光は感じているけれども、どこまで見えるかは分からない、と…。今の状態を維持するために、目薬を使っています。
耳のほうは、今のところ異常はでていません。

不安な気持ちを一人で抱えないで…

OTの様子生まれた頃は、2歳くらいには首はすわっているかも!と思っていましたが、予想に反して、娘の成長ペースはゆっくりでした。
時々、このまま首もすわらないままかもしれない、とか、どれくらい成長するのだろうとか、不安に思うこともありましたが、それでも娘の笑顔や、娘の通う支援所の先生方や病院の先生や看護師さんたちに支えられて前向きに歩んできました。

初めて娘とトーチの会の皆さんにあった瞬間の気持ちは今でも忘れられません。
「あ、私、やっぱり不安だったんだ。悔しかったんだ。誰かと分かち合いたかったんだ!!」
…それまで正直、娘のことで泣いたことはあまりありませんでした。落ち込むよりしっかりしなきゃという気持ちが強かったのだと思います。
でも、会のみなさんにあって、それまで表に出せなかった不安や悔しい気持ちが一気にふきだし、涙がとまりませんでした。それでも、「よくきたねー!!!」と温かく迎えてくれた皆さんとつながれて、状況はなにも変わらないのに、ものすごい安堵感があったことを覚えています。
支えてくれる先生や看護師さんの存在も大事ですが、同じ経験をして同じ立場にある仲間だからこそ分かり合い打ち明けられるものがあります。
まだまだ娘との生活は進行形ではありますが、私の経験がこれを読んでいる方にとって少しでもお役にたてればと、心から思います。今悩んでいるあなたは、決して一人ぼっちではないことを覚えていてください。

リハビリ中の様子

医療関係者に伝えたいこと

先天性サイトメガロウイルス感染症と診断されていろいろ調べる中で、この病気が、医学を学ぶ上で、とてもとても基本的な病気であり、医学生の教科書には必ずでてくるものであることが分かりました。
しかし妊娠中に、胎児に異常があるかもということで、わざわざ大きな病院へ赴きいろいろ検査をしたにも関わらず、その名前は1度も聞くことがありませんでした。確かに説明されたところで対処法があるわけでもなく成す術はなかったかもしれません。それでも、「知っていれば、何かできることがあったのでは?」という後悔のようなものは一生負わずに済んだのかもしれません。

出生後NICUに娘が入院していたこともあり、しばらくその総合病院に通うことになったのですが、院内で「産婦人科」の先生とすれ違うこともしばしば…。
確かに「異常が疑われる胎児」は出生したら、小児科の管轄になります。「事後」なのでケアの仕様もないのは承知ですが、それでも、せめて何か一言声をかけてほしかった…。「出生後も何かしらフォローできたのでは?」とも思います。

また、出産から2年たった今、患者会から啓発パンフレットを頂き、県の保健師さんを通して、総合病院でも掲示してもらうようお願いをしたのですが、風疹等の掲示はあっても、私が提供したパンフレットは掲示されていません。
妊娠中の診断やこれらの対応も含めて、産婦人科に対する不信感は今でも強く残っています。

医療関係者の方には、少しでも「これかもしれない」という疑いがあるものについては、患者さんと話しながら伝えていってほしいと思います。

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